ワークショップ「モーツァルト〜旅のアルバム」台本原稿  

プログラム

●第一部● スライドと演奏で紹介するモーツァルト旅のアルバム

1.ヨハン・クリスチャン・バッハ 2本のフルートと通奏低音のための三重奏曲ト長調より第三楽章 
   
J.C.Bach (1735-1782)   Trio G-dur fur zwei Querfloten und Basso continuo(?)

2.クリストフ・ウィリバルト・グルック 歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」より  バレエ音楽「精霊の踊り」 
   
C.W.Gluck (1714-1787)   Opera "Orphee et Euridice"  Ballet des Champs-Elysees(1762,1774)

3.アントニオ・ヴィヴァルディ  室内協奏曲 ニ長調 RV.94 より第二楽章 
   
A.Vivaldi(1678-1741)   Concerto in Re maggore  RV.94 (?)

4.ジョバンニ・マルティーニ  フルート協奏曲 ト長調より第一楽章 
   
G.Martini(1706-1784)   Concerto Sol maggore Flauto Archi e cembalo(?)

5.ヨハン・バプティスト・ヴェンドリンク フルート協奏曲 ハ長調より第三楽章 
   
J.B.Wendling(1723-1797)   Concerto Ut maggore a5 Stormenti per Flauto Principale e archi(ca1775-1786)

6.ジュゼッペ・カンビーニ フルートとヴァイオリンのための二重奏曲作品14ー1より第1楽章 
   
G.Cambini(1746-1825?)   Duetto fur Flote und Violine G-dur op.14-1(1780-1790?)

7.ミヒヤエル・ハイドン ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲ハ長調P.127より第三楽章 
   
M.Haydn   Duo 1 fur Violin und Viola C-dur P.127(1783)

8.ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト 弦楽三重奏曲断章 K.Anh.66(562e) 
   
W.A.Mozart   (Streichtrio)Fragment  K.Anh.66(562e)(ca1790-1)

●第二部● モーツァルトの作品によるミニコンサート

9.セレナーデ ト長調(アイネ・クライネ・ナハトムジーク)K.525より第一楽章Allegro
   
Eine Kleine Nachtmusik   K.525 (10 august 1787 Wien)

10.フルートとクラヴィアのためのソナタ ハ長調 K.14より第一楽章Allegro 
   
Sonate pour le clavecin,qui peuvent se jouer avec l'accompagnement de violon,ou flute traversiere op.3(1764 London)

11.ファゴットと低音のためのソナタ 変ロ長調  K.292 より第1楽章Allegro 
   
Sonate fur Faggot und Violoncello  K.292 (1775 Salzburg)

12.フルート四重奏曲第番 ニ長調 K.285   Allegro - Adagio - Rondeau Allegretto
    Quartett fur Flote und Streichtrio
 Nr.1  K.285 (25 december 1777 Mannheim)

 

演奏 京都バロック楽器アンサンブル

森本英希(リーダー、フルート)
出口かよ子(フルート・リコーダー)
淡島宏枝(ファゴット)  
松原優子、大西智子、中川敦史(ヴァイオリン)
森本真裕美(ヴィオラ)
曽田健(チェロ)  
關一平(コントラバス)
吉竹百合子(チェンバロ)


*「モーツァルト 旅のアルバム」は2006年2月19日の京都新聞に紹介されました


モーツァルト旅のアルバム 台本  
2006年2月18日

肖像画1

皆様こんにちは。本日は、京都市フランチャイズ化事業によるワークショップにようこそおいで下さいました。リーダーの森本英希です。私達京都バロック楽器アンサンブルは、ここ西文化会館ウエスティを本拠地にし、日々バロック時代の音楽を研究しています。そのかわり年に何回か無料公演を行う事で市民の皆様に還元化するというのがフランチャイズ化事業です。今回は、皆様もご存知のようにモーツァルトが生誕250年を迎えましたので、モーツァルトをテーマに取り上げました。

それでは、モーツァルトの旅のアルバムを、分かり易く楽しく進めていきたいと思います。どうぞ最後までお楽しみ下さい。  

モーツァルトは、35年と10ヶ月生きています。そのうちの10年2ヶ月、つまり生涯の3分の1近くの時間を、旅していたのです。そうしながらながら各地の音楽を学び、作曲し、演奏し、また教えたりもしました。その行動力は、他の作曲家には見られない程広範囲で変化にとんだものです。今日は、そのほんの一部分にしか過ぎませんが、モーツァルトが旅先でどんな人達と交流をもったのか、またどんな出来事が起こったのか、見ていきましょう。  

まずご紹介したいのは、J.C.バッハです。

肖像画2

彼は、音楽の父と呼ばれているJ.S.バッハの末息子で才能あふれる音楽家でした。モーツァルトが8歳の時、ロンドンへ旅行した時、29歳の彼と出会います。その当時、J.C.バッハはイギリスで最も活躍していました。彼は、すぐに少年モーツァルトの高度な音楽の才能を認めて、大変な愛情を示しました。モーツァルトが彼から受けた音楽の影響は大きく、若いモーツァルトの作品とJ.C.バッハの作品とはどちらがどっちとわからないくらい似通っています。また、はるばるドイツのザルツブルクからきた天才少年に興味を持ったバリントン卿は、モーツァルトに即興でいろんなことをさせてその時の記録を残しています。その中に、J.C.バッハが弾き始めたフーガを突然止めると、直ちにモーツァルトがそのテーマを引き取って堂々と弾き通した。というエピソードがあります。

♪トリオ  

写真ロンドン

モーツァルトが、初めて旅に出たのは、もっと小さい6歳の頃でした。3歳頃から和音を鳴らして遊んでいた息子を見て、父レオポルトは、この才能を小さな田舎町のザルツブルクに埋もれてしまってはいけないと思い、娘ナンネルと、ヴォルフガングを連れて、まずミュンヘンへ慣らしの旅に出ます。

家族1

貴族達の前で演奏し、沢山の報酬をもらい、成功したモーツァルト一家は、同じ年、バッサウ、ウィーンと足を伸ばします。貴族の館で演奏会をした次の日、父レオポルトは一人でグルックの『オルフェオとエウリディーチェ』を観に行きますが、嬉しいことに、客席のウィーン宮廷の皇子が隣の人に『ザルツブルクの神童』の話をしているではありませんか。パールフィ伯爵のおかげで、その数日後、シェーンブルン宮殿に入ることを許されます。

ここでも、沢山の褒美をもらいますが、小さなハプニングが有名な話として残っています。ヴォルフガングは、シェーンブルン宮殿の美しく磨かれた床で滑って転んでしまいます。その時、のちのフランス王妃マリーアントワネット皇女に助け起こされ、そのお礼として、ヴォルフガングはその場で、『僕のお嫁さんにしてあげる』と言ったそうです。話が脱線してしまいましたが、グルックは、『祖父、父とも森林管理人、チェコのギムナジウムにて音楽を学び、プラハ大学に進学し、数学や論理学を学んだ。対位法に関して、ヘンデルは、「わしの料理番のほうが対位法にかけては上だ」といったとか…当時グルックはあまり良いメロディーの持ち主と思われていなかったが、この曲は至高の旋律です。』

肖像画3

♪精霊の踊り

 

ここで、モーツァルトがどこを旅したか、地図を見て見ましょう。

『おおまかに、順を追って説明』

 

モーツァルトが最初にイタリアに旅行したのは、13歳の頃で、父レオポルトと二人で出かけています。

レオポルトはモーツァルトが学校へ行かない代わりに、自らが教師となって、音楽は勿論、国語、算数、外国語、などを教えました。実際、自分達でやりくりしながら色んな国を渡り歩くわけですから、言葉やお金の計算は実践を伴っていました。モーツァルトは算数が好きで一日中数字を書いて計算して遊んでいた時もありました。言葉もイタリア語は母国語のドイツ語と同じように話せたし、あとフランス語ラテン語も習得しました。読書も好きで、のちに、妻のコンスタンツェは、シェイクスピアの本をよく読んでいたと言っています。モーツァルトの残した手紙の表現力豊かな文章力は父親譲りと、本好きだったところから培ったのでしょう。

では、モーツァルトも聴いたであろう、A.ヴィヴァルディの曲から一曲お聴き下さい。

『ヴィヴァルディの説明』

♪協奏曲

あと、この最初のイタリア旅行でご紹介したいのは、ヴェローナでマルティーニ神父に対位法を学んだ事です。のちのちまで、モーツァルトはマルティーニ神父を大変尊敬していました。

 

再び肖像画2

マルティーニ神父(イタリアの音楽著述家、教師、作曲家。18世紀の音楽界におけるもっとも著名な人物の一人で死去の際には「われわれの時代の音楽之神様」と呼ばれた。彼はたゆまず作曲、著作、教授に打ち込んだためほとんどボローニャを離れなかった。弟子にはJ.C.バッハ、ベルトーニ、グレトリ、ヨンメッリ、モーツァルト、ナウマンら100人に及ぶ。)

♪フルート協奏曲

 

モーツァルトはイタリアに、3回も旅行に行っています。暖かく明るく、外に開かれた土地柄に強い憧れを抱いていました。カラッとしたイタリア音楽を自分の音楽に取り入れ、生まれ故郷のドイツの音楽と融合して、素晴らしい作品が次々と出来ました。イタリアのいくつかの町の写真を見てください。

写真ボロ‐ニャ ベネチア フィレンツェ

 

モーツァルトは作曲や演奏ばかりでなく、音楽の教師もしていました。ピアノ、声楽、ヴァイオリン、作曲など幅広く教える事が出来ました。また、レッスン料は大事な収入源にもなっていました。レッスン料や作曲料を調べた人がいて、それによると1レッスンが五千円程だったようです。モーツァルトは優秀な生徒や友達から逆に音楽の霊感をもらい、その人のために作曲をしました。そうして出来た素晴らしい曲は沢山あります。そういった人達の中に、フルーティストのJ.B.ヴェンドリンクやその歌手の娘がいました。モーツァルトが母親と二人で行ったウィーンで知り合いました。

 

モーツァルトはパリを2回訪れています。一回目は8歳のころの1年半の最初のパリロンドン大旅行そして2回目は22歳の青年音楽家の時期です。この2回目のパリ旅行では就職活動の失敗(そしてその後もよい就職は最後まで出来ませんでした)や、いっしょに来てくれていたお母さんの死など、彼の人生の中では晩年と、この時期が最も暗い時期と呼べるのではないかと思います。そういったことの一つに上げられるかどうかはわかりませんが、このパリへの途中マンハイムによるのですがそこでアロイジア・ウェーバーという女性にに恋をし、

家族2

そしてこのパリ旅行の帰りにマンハイムに再び立ち寄った時に彼女はランゲという俳優と結婚してしまい失恋してしまいます。このランゲは、モーツァルトと友人でした。彼はアマチュアの画家でもありその彼が後年書いた有名な肖像画があります。

肖像画4

『カンビーニ イタリア人パリで活躍した。協奏交響曲が人気を博した。モーツァルトの協奏交響曲の初演を妨害したといわれているが真偽は不明。その後、アフリカに探検に出かけて、行方不明になった。』

『J.B.ヴェンドリンク マンハイム宮廷のすぐれたフルート奏者、作曲家。1878年パリのコンセールスピリチュエルでモーツァルトと共演。弟はヴァイオリン奏者、妻は歌手』

♪二曲続けて演奏

 皆さん、ハイドンと言う作曲家は知っていますか?ビックリ交響曲で有名なヨーゼフ・.ハイドンです。彼には弟がいて、ミヒャエル・ハイドンと言いますが、モーツァルトはこの二人の兄弟と仲良くしていました。
厳格でコツコツ型のヨーゼフ・ハイドンと、自由奔放でユーモアを愛するモーツァルトは、音楽史の上でよく比較の対象になりますが、実際お互いに良い影響を与えあい、深く尊敬しあっていました。モーツァルトは、ヨーゼフ・ハイドンに、『ハイドンセット』と言う名の弦楽四重奏曲を6曲献呈しています。

弟のミヒャエル・ハィドンは、お兄さんの栄光の影に隠れていてあまり知られていませんが、立派な作曲家で、ザルツブルグでモーツァルト親子と同じ職場で働いていました。明るく茶目っ気のある性格は、モーツァルトと通ずるところがあってすぐに打ち解け、親友となりました。そして、ザルツブルグを離れてウィーンにすんでからも、彼の作品を勉強したり、彼のピンチを助けたり、生涯変わらない友情でむすばれていました。

再び肖像画3

『M.ハイドン ザルツブルグ時代からのモーツァルトの友人で、モーツァルト11歳のときに「第一戒律の責務」を共作した。兄と同じくウィーンシュテファン大聖堂の少年合唱隊に入る、1753からオラデヤの楽長、1763年からザルツブルグへ1781年からモーツァルトの代わりにオルガニストも兼務した。』

♪Duo

 

晩年のモーツァルトは貧乏のどん底になり、聴衆からあまり省みられなくなります。このころに旅した場所の写真を見てください

写真フランクフルト 戴冠式があり、それを当てこんでやってきましたが、パッとした仕事(オペラを作る)はありませんでした。それにたいして、

写真プラハここでは熱狂的に迎えられました。ドン、ジョバン二が大成功して、その後、魔笛でさらに市民が熱狂します。モーツァルトにとっても待ちに待った成功でしたが、モーツァルトに残された時間はわずかでした。

 

モーツァルトは、頭の中にどんどん音楽が溢れてくる天才音楽家でした。手紙を書くみたいに、ペンを走らせて書いていました。それが旅の移動中の馬車の中であっても、食事中であってもです。書く方が追いつかないくらいなので、書きかけのまま、完成されなかった曲も沢山あります。それらがつまらない曲かと言うと違うんです。これから、その一例を演奏します。普通のコンサートでは、滅多に聴けないです。どうぞ、もっと聴きたいなー、っと思ったら、休憩を挟んで後半にたっぷりモーツァルトの曲を堪能して下さい。

1791年モーツァルトが亡くなる35歳の時に書かれた弦楽三重奏の未完成の曲です。

♪断片

(台本制作 森本真裕美 森本英希)

 

主要参考文献

アインシュタイン 浅井真男訳 モーツァルト  白水社

E.ヴァーレンティン 久保田慶一訳 レオポルト・モーツァルト 音楽之友社

Aハッチングス 海老沢敏他訳 モーツァルト 人と音楽 小学館

T.ヴィゼワ、J.サンフォワ 服部龍太郎訳 若きモーツァルト 興風館

絵本で読む音楽の歴史3 モーツァルトと古典派音楽  ヤマハ

久保田慶一 モーツァルトに消えた音楽家たち 音楽之友社

井上太郎 モーツァルトのいる部屋 新潮社

石井宏  帝王から音楽マフィアまで 新潮社   他

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